はなのかんばせ

オタクによる誰かのためというわけではない雑記

メロンクリームソーダの幻想

メロンクリームソーダをご存知だろうか。

メロンソーダにクリーム、つまりアイスクリームが乗った例の飲み物である。私はよく喫茶店でメロンクリームソーダを注文するのだが、それは各喫茶店によって様々な特徴がある。

メロンクリームソーダはただメロンソーダにアイスクリームを乗せただけの飲み物ではない。メロンソーダの量とアイスクリームの量の比率、更にはアイスクリームをメロンソーダに浸水させる割合、また値段設定に至るまで様々な要素が組み合わさって構成される作品なのである。

私が好きなメロンクリームソーダは三宮のとある喫茶店にある。そこのメロンクリームソーダには夢が詰まっている。グラスに注がれたメロンソーダの凡そ半分に至るまでアイスクリームが浸っているのである。その光景は、ファミレスにあるただメロンソーダにアイスクリームを乗せた紛い物とは一線を画す。メロンソーダの半分にまで侵攻を進めたアイスクリームはいつまでも私に、あの懐かしきアイスクリームを食べきった後の残り滓としてのメロンソーダを思い起こさせない。それは、在りし日との決別であり、新しき日との出会いであった。私は昔日よりも金銭の寡多によって、美味しいということを学んだのだった。

前置きが長くなったが、この記事はいろはすメロンクリームソーダについてのレビューとして書いている。

いろはすの新種であるメロンクリームソーダは、その値段設定もさることながらアイスクリームが入っていないにもかかわらずメロンクリームソーダを謳っている点でメロンクリームソーダ界の紛い物の王といっても過言ではない。

その私の思いは変わらない。ただ、このいろはすメロンクリームソーダは恐ろしい飲み物であるという事実もまた変わらない。

いろはすメロンクリームソーダはアイスクリームが入っていないにもかかわらず、クリームソーダの味を再現しているのである。炭酸を通して味覚に伝わってくる味には、メロンソーダだけではないという感覚がある。それは言うまでもなくアイスクリームの味である。あの値段設定でこの味を再現してしまういろはすメロンクリームソーダは恐ろしいのだ。

しかし、メロンクリームソーダには見落としてはならない必要条件がある。それは、アイスクリームとメロンソーダを一緒に飲んだときに生じる食感である。味は食感ではなく、食感は味ではない。いろはすメロンクリームソーダはたしかにメロンクリームソーダの味を高い完成度で再現していた。けれど、その食感までは再現していない。

そこに私はメロンクリームソーダの幻想を見たのだ。

 

ぜんぶへたくそ

何をやっても上手くいかない。

「本が好きです」「小説を書くのが好きです」みたいな人間を見るたびに、他人と相対化せず自分の好きなことを言えることに驚く。

〜が好きですって言うときは、相対的に人よりそのことに詳しくて、長くやっていなければならないみたいな基準が僕の中にはあるので。くだらないけれど。

最近コンプレックスばっかり抱えてしまう。頑張って生きたい。

 

オススメの本とか言えるほど本を読んでいないし、他人に読まれるレベルの文章は書けません。僕が人より秀でているところは特にないです。そのくせ、人より秀でたいと思ってるダメ人間です。努力しないからクソです。性根が腐ってます。消えたい。

足が痛い

寒くて足がジンジンする。

何もしたくないし、何もできない。

ピアノを小さい頃からやりたかったんですよね。「今からでも始めればいいじゃない」って言う人は小さい頃からやっているからそういうことが言えるんだよなって卑屈になったりする。

やりたくてもできないし、今から始めてもなんだかなあってことが多い。結局、色々とやらない理由を探しているだけだって思われるんでしょうけれど。そういうわけでもないんですよね。

恥ずかしさがある。恥ずかしさを捨てられるほど、何かをやろうとするエネルギーがない。

絵を描いたり、音楽をしたりしてこなかったことがコンプレックスで。きっと、階級差というものでどうにもならなかったんでしょう。本もあまり読んでなかった。

かといって代わりになる何かがあるわけでもない。勉強はがんばっているつもりだけど、がんばってるだけで特別勉強ができるということではなくて。

そういったルサンチマンを原動力にがんばったらいいじゃないって、言えるかもしれないけれど、そんなダサいことはしたくないと思う私がいます。

書くこと

「なぜ人は書くのか?」という問いについて考えて、色々勉強して、いつか自分なりの答えを見つけられればなあと最近思う。

だから、ドゥルーズを読んでみたりするんだけど、全く理解できない。

文芸批評?文学批評?よくわかんないけど。そういったことを真面目にやろうと思ったら、精神分析とか哲学とか史学とかそういったことの素養が必要なんだって最近気づいた。僕には何もないから、必死になってそういったことを勉強するんだけど、最後には想像力が必要だから、そういったことはどう鍛えればいいのかとかとか考える。

悩み過ぎてはいけないこともあるし、悩まないといけないこともある。

まーじでドゥルーズが何いってるかわっかんねーーー。読書会でドゥルーズ一回読んだけど、またやりたいな。人が集まらないだろうけど。

読むということも書くことと同じくらい難しいし、力のいることなんだよね〜。

なーーんにもわかんない。

がんばってる

本当に色々がんばってる。そうでもないかもしれない。僕よりがんばってる人なんて腐るほどいるし。でも、努力を相対的に考えると気分が悪くなるだけなのでやめる。僕は僕なりにがんばってる。それが全てだし、それ以上でもそれ以下でもない。「もっとがんばれ」って言われたらがんばれてしまうくらいに手は抜いているけれど、でもそこそこがんばってる。何が言いたいかというと、「がんばったね。君は偉いね」って言ってもらいたいって話。この前言われたけど。

気にしないで

 心がしんどくてどうしようもないので書く。中途半端な興味を持たれて、ほどほどに気にかけられるのが嫌で、そういうのに慣れてなくて、かといって人と関わること自体に慣れているわけではないのだけど。

 みんな、慣れすぎなんだよ。ほどほどの距離感に。休みの日に友達と遊びに出かけたりなんてしないし、かといって、全く話さないわけでもなく。一人でいる方が気楽だけど、色々体裁気にしてしまうし。仲良しクラブじゃないから、別にどうでもいいんだけど。

 消えて無くなってしまいたい。

ナルシズムに満ち満ちている

 ブログなんて所詮は顕示欲を満たすためだけに書くものなんだよ。

 自分に価値を見出すことができる人間が、この世で一番幸せに生きられるので、早くそれになりたい。他者から無条件に肯定されたことがないので、早く肯定されたい。

 自分に欠片も価値がないと思ってるから、他人が自分について話すことがあるなんて露ほど想像しなかった年月があったんですけれど。どうやらそうでもないらしくて。

 生き辛い世の中ですね。関わりたい人とだけ関わって生きていけたらいいのですけれど。そういうのって、難しいですし。せめて、大学の間はそういう風なスタイルでいきたい。孤高を気取るというのではなくてね。あんまり、話したくない人だと、忙しいフリをして離れればいいよって言われたことがあるんですけど、それって効果的なのかなとか思ったり。

 興味関心のある分野があまりにかけ離れた人と話すのが苦手なんですよね、僕は人の話を聞くのが下手だから、相手の話に興味を持てないし。なんだかなあ。