はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

24歳になった

 24になったのにも関わらず、僕は相変わらず論文を読んで頭を捻っている。良いものを読むと自分の不甲斐なさに打ちのめされて吐きそうになるし、重要な資料を見つけると自分の論文にどう組み入れるかで頭を悩まされる。

 まさに僕は血反吐を吐きながら勉強をしている。昔から集中して何時間も本を読める体質ではなかった。小学校3年生の頃はハリーポッター1冊読むのに2週間もかかっていた。文字を読むことは苦痛でしかなかったけれど、読まなければ立派な大人になれないという意志でなんとかここまでやってきた。最近、何も読まなかった方が普通の大人になれたんじゃないかと気づいた。時既に遅し。いかに読まず、書けずでも僕はもうこの道をノロノロと進んでいくしかない。

 なぜ本を読むことに集中できないのか。ADHDのように、僕の頭の中が常に多動だからだ、と最近は類推している。ちなみに精神科の先生からは、君は至って論理的に話すし立派だから発達障害とかはないよ、と言われた。何をしていても僕は一つのことに頭を傾けることができない。本を読んでいて、ふとした言葉から脳内で連想が始まり、記憶が映像として再生され、僕の目はただ文字をなぞるだけの機関になる。どうしようもないことだと思う。文章を読むのは苦手だ。

 文章を書くことも苦手だ。特に論文……。自分の連想を抑えながら、つまりひたすら抑圧して書かなければならないから。あと、一度書いた文章を直すのもとても苦手だ。自分の不甲斐なさが言葉として示されている状態に耐えきれない。いつも推敲するときはイライラして、煙草を吸うか身体を動かしてしまう。物を殴ろうとしたこともあったけど、貧乏者からできなかった。壊れたらもったいない。どんなものでも。あと、単純に自分の日本語の下手さに苛立つことがある。なぜもっと美しく知性的に、論理的に、おもしろく、誰もを納得させるようなものが書けないんだろう。いつも袋小路に入って出られなくなってしまう。

 要するに、僕は机に向かうのはとても苦手な部類の人です。でも机に向かわないといけない。だからこそ、最近は色々なことを試している。まずひとつ、ホワイトボードを買った。机に立ててその日やるべきことを書く。普段は午前、午後でわけているけれど、大学にいるときといないときで分けることもする。できたら、赤ペンでチェックを入れていく。

 もうひとつは、書見台を買ったこと。座って本を手に持って読むと、肩腰に負担が多かったけれど、書見台を使って読むようにするとそれらは全て改善されてしまった。なんでみんな買ってないの? なんで義務教育の机に全て書見台を設置しないの? と疑問を抱いたほど、すばらしいものだった。ぜひおすすめ。

 次は手帳を買ったこと。書き入れる予定なんてひとつもないけれど(さびしい)、記録用に使っている。僕は毎朝必ず一本は何かしら論文を読むようにしている。それについての情報と簡単なメモを手帳には記している。自分がこれだけがんばっているんだと自覚できるので良い。自分が何をしているのかわからないとき、これまでの集積が僕を立たせてくれる気がする。

 最後はポモドーロ法。25分作業をして5分休む。これを4セットやってから30分程度休憩をとるらしい。立ち読みした自己啓発書で知ったのだけれど、案外良い方法だった。専用のアプリが出ているらしいけれど、僕はiPhoneのタイマー機能をつかっている。集中できているかわからないけれど、作業は遅々と進んでいる。5分の休憩のときに、洗い物を片付けたり、部屋をクイックルワイパーで掃除したらするのが好き。スマホは触らないようにしなければならないので、時間を潰すために軽く家事をやるとちょうど良い。習慣化できたらいいなと思う。アラーム音で判断するから、大学だとできないかもしれない。

 がんばるためにはがんばる環境がいる。少し前まで、圧倒的な意志の力さえあれば僕は何でもできるんだと思っていたけれど、最近は意志より身体を動かすことを習慣化すべき方が良いと思っている。僕は弱いので、すぐ目の前のことから逃げてしまう。逃げ回っても、いく先なんてないのだけれど。何が正しいのかわからないけれど、そろそろ結果を出さなければならない。ブルジョアではないので、お金がなくなると僕はそこで死ぬしかなくなってしまう。生存戦略。本当は誰かに縋って優しくされたいとばかり思っている。

 今日は幾人かの人がお祝いのメッセージをくれた。嬉しかった。こんな日にしか連絡がこないことに淋しさもおぼえた。何かプレゼントが欲しかった……。女々しいか。