はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

神戸のこと

 僕にとって、神戸は10代に過ごした、今よりも汚いけれど色々なものがまだ少し前の時代と結びついていた街のことだった。

 10代の頃は、今よりもよく物事を考えていた気もするし、何かになりたいけれど何もしたくなくて学校にも行かずに無為に過ごしていただけの気もする。程よい暑さの夏、雪が降り頻る冬、雲ひとつない空と何をしても許されるような山の中。そんな場所から降りて、初めてあの街へ行ったのは、いわゆるゼロ年代のことだった。

 道路に等間隔に置かれた灰皿や、駅前でギターを弾いたりガラケーを開いたりしていた人たちのことをよく覚えている。まだ、アニメイトセンタープラザの西館の3階にあって、誰も入らないような変な店で当時家電量販店ではどこも手に入らなかったDSを父が手に入れてくれた。

 一人でその街を訪れるようになると、中古の漫画やライトノベルをひたすら買ったり、たくさんある美少女ゲームショップの前に貼ってあるポスターを見たりした。喫煙所では、つい先程まで行き交う人に高い声で笑顔を振り撒き、まだこの街に慣れていない人にクレーンゲームをやらせようとしていたメイド姿のお姉さんが足を組み、肩を丸めて気怠そうにタバコを吸っていた。偶に、警察官が訪れて、タバコを吸う人たちに身分証を提示させていたりもした。

 程よく古い建物に匂い立つ時代の香りに、ゆっくりと育てられたことを今でも覚えている。あの街は慣れてしまうと、とても居心地がよかった。年を取ると、違う顔を見せてくれたのも良かった。扉を開けると紫煙で真っ白になった喫茶店、いつも笑顔で美味しいものを出してくれるおじちゃん、鉄拳で対戦したあと上半身裸になって灰皿をぶん投げようとしてきたお兄さん。他にも色々なものがあった。

 たとえば、深夜に蛇口を捻ったように吐くスーツを着た男の人だったり、昼間からビール瓶で殴り合う外国人だったり。

 使われる言葉には、心地よいリズムがある。僕の中にも昔から、もはや身体の一部になってしまったリズムがあって、それが綺麗に合わさると、ここにいることを許されている気持ちになる。

 でも、いまは、なんだかこの街に自分がいちゃいけないみたいなんだ。あの頃、僕と同じ時間を確かに共有していた人々は一体どこに行ってしまったんだろう。

 綺麗に整備された街には伝統がない。方言もない。そこは外から来た人には居心地がいいのかもしれない。綺麗なビルに計算された人流に、どこにでもあるような店舗。消えてしまった煙草の煙り。そのどれもが僕をイライラさせるんだ。僕はもうあの頃好きだったものが大して好きじゃないのかもしれない。昔ほど、あの街に訪れることはなくなったのかもしれない。

 もう僕はいま・ここにはないあの街を懐かしむことしかできない。