はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

思い出すことを書くこと

 表題をテーマにして卒論を書いている。正確には戦争を思い出すこと、何だけど。長い文章を書いたことがなくて、思うように書けないことが続いた。アカデミックな文章、他の文章もそうなんだけど、文章には文と文の繋がりに必然性がいる。それらが有機的な連関を持つことで、初めて一つの作品になる。そんなことはわかっているけれど、自分の思考をひたすら抑圧しながら統御するというのはなかなか根気がある作業でうまくいかない。今だって僕は文章を書けていない。ただ思い浮かんだ言葉を並べているだけ。この思い浮かぶ、というのが記憶を思い返すということに置き換わると、冒頭に書いたテーマになる。記憶の繋がりに必然性はないからね。出来事と出来事の間に因果関係があることなんてそうそうない。初詣に行って、おみくじで大吉を引いたから、その日の帰りに意中の人と会えた、なんてフィクションに決まっている。そこに繋がりを見出すのは、誠実ではないと思う。

 出来事はいつも突然に。その積み重ねで生は作られていく。なんでこんなことを考えたのか何もわからない。色々なことで悩んでいるからかもしれない。気軽な相談できる人なんてほとんどいない。困ったことだ。悩んでいますって言うの恥ずかしいよね。正直。話してみたら解決することもあるかもしれないけど。気が楽になるとは思うけど。女々しい感じがする。だらだら書いた僕の文章なんて、人を不快にするだけではないのか? いや、別にどうでもいいんだけど。難しいよね。生活するって。

 自分がどんな人間なのかを振り返って考える。確固としたものが何もなく、ただ怠惰な日々を過ごしてきたことだけが思い出される。嫌なことばかりで、ひたすら逃げてきた。しんどいな。どうしようもないことも多かった。価値観の合わない人間が家にいると、しんどい。僕が自分の意志で選んだ人たちと一緒に生活しているわけではないからね、家族って。「ああ、偉大なるかな馬鹿の王国」僕は少しだけ周りの人より頭が良かった。自惚れだと思うけど。

 小説が書けない。二次創作は書いた。俺ガイルのやつ。ブクマが117件。昔書いたFGOのやつは397件ある。数字を見るとひたすらに満たされる。そうではなくて、小説のことだ。たくさんの小説を読んで、たくさんの優れた解釈を読むことを繰り返していると、自分の思考がすごく浅いことに気付いてしまって、何かを書くことが許されないのではないか、という気分になってしまった。そんなことがあり得ないことはもちろんわかっている。小説は誰にでも開かれたものでないといけない。これは僕個人の問題なのだ。優れたものを書かないと意味がないのではないかという感覚。もっと無駄を楽しんだ方がいいのかもしれないね。

 4月から大学院生になる。友達がみんないなくなってしまうので、どうしようという気分。寂しさばかり。強く生きろ!!!!