はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

昨年のことなど

心身のこと

体と心のバランスがうまく噛み合わない一年だった。週一回、3コマの授業を担当するだけで鬱状態になってしまっていた。授業というのは、不特定多数の人間と割としっかり関わらないといけないものなので、疲れやすかったのかもしれない。

学校のカウンセラーに紹介されて、メンクリに通うようになった。また、カウンセラーにIQテストなどなどをやろうと提案され、やってみた結果、強めのASD傾向と軽めのADHDがあることがわかった。要するに、知能というか私の能力値がグラフにするとガタガタになっているということだ。言語能力とワーキングメモリーの数値だけが異様に高かった。偏った能力で、定形発達の真似をしていたので、鬱になりやすいということだったらしい。

メンクリの先生はいい人だった。鬱を風邪のように扱い、内科の先生のように症状を聞いて薬を処方してくれる。寄り添ってくれる医者よりも、こういう接し方の方が安心すると思った。とはいえ、少ない労働時間で鬱になってしまうような現状では、まともに働いたり、生きていくことは難しいのではないだろうか。

日常をストレスなく生きていくこと、経済的に安定した暮らしを手にいれること、これがしばらくは人生の目標になるかもしれない。気がつけば、27歳でもあるし。

研究のこと

うまくいかない。論文を発表したり、批評を雑誌に載せてもらったり、仕事をコツコツしてはいるけれど、どうにも貯金を切り崩しているような気がする。学部生のときは、元気だったのでたくさん勉強していた。その貯金を研究にうまくスライドさせてはいる。しかし、積み上げていくことができていない。

なかなか手をつけられないことが多い。ゴロゴロしてしまう。この状態にADHDという特性のせいにしてしまうことは簡単だし、他人と上手に話すことができないのをASDのせいにしてしまうことも簡単だ。

けれど、自分の障害のせいにしたって、誰も助けてくれないし、手を動かさない限り、僕は何も進まない。自分との向き合い方をよくよく考えなければならない。27歳にもなってすることではないだろうけれど、発達が遅れているので仕方がない。

 

 

文章の感想をもらえるのは嬉しいことでもある。研究だったり批評だったり、読んでいただけるのは幸せなことだ。でもやっぱり、小説を書いて、小説を読んでもらいたいなということをぼんやり考えている。