はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

覚書

 論文を書くためには、たくさん論文を読んで良い論文を見分けられるようにならないといけない。自分の中で良いと思う論文を見つけて、それの何が良いのかを箇条書して鋳型を抽出する。その鋳型に自分の考えたこと、調べたことを流し込む。

 そういうことを繰り返せば文章は上手くなるんだろうか。最近、内容よりも構成の美しさというものに拘りが出始めてきた。もちろん内容は大事なのだけれど。読みやすいものを。先輩からはよく、誰に向けて書くかということを意識しないといけないよ、といわれる。僕は自分に向けてしか文章を書けないので、そういうことを考えるのは苦手なのだけれど、自分が美しいと思うものを書こうとはしている。

 美しい文章を読んだときに懐く気持ちは、美術館で本物のフェルメールの絵をやっとの思いで見られたときの記憶を想起させる。ゴッホを見たときは、美しい絵というより懐かしい景色を思い出した感覚を得たので少し違う。この気持ちを自分の中でも感じたい。何かを解き明かしたいというより、美しいものを見たいというのが原点にある気がする。

 だからこそ、最近学生の書いてきたものを読んでイライラしてしまう。内容の拙さではなく、文章の不細工さに。毎日着る服や、スキンケアなどと同じ次元で文書にも接して欲しい。あなたの書いたものはあなたなんですよ? 愚痴を書いても仕方ない。本当はお酒を飲みながらダラダラこういうお話がしたい。誰か僕の美意識の話に付き合ってくれる人はいないだろうか。