はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

自分の頭の悪さに泣いてしまった。

自分で言うことではないけれど、僕は生者には最大限の敬意を表するタイプのお人好しです。倒れている人がいれば救急車を呼んで介助をするし、電車の席はしんどそうにした人に譲る。僕は膝が悪くて立ってるのがしんどいので、これはいや。良く生きようと思って頑張ってきた。どうすればいいのか考えて哲学や思想を学んだ。哲学は魂の慰めなので。このことがわかっていないと、勉強はただのファッションになります。

寸借詐欺にあった。本当に困ってそうな人で憐みからお金を渡してしまった。僕にとってそのお金の価値は今月ご飯を食べるための全てだった。彼にとっては飲み代か女遊びにでも変わるのだろう。まずは自分のお人好しさが辛くてしばらく治療で抑えていた鬱症状が出てきた。つぎに、社会に対する怖さを覚えた。僕って騙しやすそうな出立をしているんだろうな。よく知らない人に声をかけられる。もうこれからは、困っている人がいても助けない。救急車を呼ば無い。道を聞かれても教えない。お金はもちろんのこと貸さない。誰も信じない。

すごくショックだった。紙切れ一枚にそこまでする人がいることにびっくりした。交換可能性。彼は権威のある紙を持っていないから、交換形態(市場)に自己を投己できないのだろうな。裏技を使って再び参画していくんだろうけど、そもそもこの枠組みに囚われていること自体は悲しくならないのだろうか。詐欺師はそんなこと考えません。馬鹿には興味がありません。騙されたときのことを考えるとものすごくしんどくなる。誰か助けてほしい。公助はないだろうないなあ。この国はなんなんだ。

また人に騙されないかしんぱいです。悲しいです。関わりあう人々には常に誠実に向き合うことを目標に生きてきたけれど、こころが折れてしまった。だれかたすけて、なぐさめて。

世界は美しくない。加害と被害の対立関係でしか世界は語れない。いきることはむずかしい。へんな虫に這い上がられる感触、比薙沢症候群のステージ5みたいだった。まあ普通に医者に脅されてた糖質が進行しているっぽい。こんな状況になると、誰かに助けてって言うこと自体が難しくなる。

「世界はそれでも美しいんだよ!」と強く訴えてくれた女の子はどのゲームに出ていたのだっけ。