はなのかんばせ

だいがくいんせいのらくがきのーと

さようなら、私のエヴァンゲリオン。

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観た。

以下には、その感想と私のエヴァとの関係を書こうと思う。

 

エヴァンゲリオンを初めて観たのは中学一年生の頃、2009年の夏頃だった。当時少しずつアニメを見始めた私は、仲の良い友人にオススメのアニメを聞いて、そこでエヴァの存在を知った。

そのときに見たのはTVアニメ版だった。エヴァについて、人気だというざっくりとした前知識はあったけれど、どんなアニメなのかは観るまで何も知らなかった。

もう今では遠い昔のことなので、ぼんやりとしか思い出せないけれど、一周目は1日で観終わってしまったことを覚えている。エヴァの戦闘シーンは華やかだけれども、戦闘よりもミサトさんとアスカとの生活の描写の方が印象に残っている。当時はツンデレのヒロインが流行っていて、その先駆けであるアスカというキャラクターが私にはとても魅力的に見えた。レイやゲンドウはあまり印象に残らなかった。

TV版の最終話は色々と言われているけれど、中学生のありきたりだけれど少し複雑な環境にいた私にとっては、とても刺さるもので「僕はここにいていいんだ」というシンジのセリフに感動した。

勧めてくれた友人とエヴァの話を何度もするうちに、他のエヴァ作品も観たくなり、すぐに旧劇場版や他の映画も観た。どちらも難解な作品で、まだ知識も経験もない私には理解することができなかったけれど、壮大な世界観に心を奪われた。

その後数年は鋼鉄のガールフレンドをやったり、碇シンジ育成計画を読んだり、貞本エヴァを買ったりした。個人サイトで書かれているSSも読み漁ったし、LAS系の同人誌を買ったこともあった。エヴァの世界は原作だけでなく、読者によっても広がっていくという事実が私にはとても新鮮だった。

新劇場版をいつかの金曜ロードショーで観た。たしかQの放映記念で、序と破が連続で放送されていた。Qを観に行きたくなった当時の私は、一人で映画館に行き前売り券を買い、公開初日一人で観に行った。友人とは後日また観に行った。

それまで映画をあまり見たことのなかった私は、一人で映画館に行くというのが初めてで緊張したことを覚えている。初めてQを観たのは、劇場の前の方の座席で観るのがしんどかったけれど、初めて大画面で観るエヴァンゲリオンに満足した。映画の内容は、たしか破から14年が経ったという設定で、色々なことが変化していて戸惑ったことを覚えている。突き放された感覚。

劇場を出た後、パンフレットとグッズを少し買った。エヴァンゲリオンに生活が囲まれるということが少し嬉しかった。

「続きはいつになるのかな」

「俺たちもうシンエヴァの頃には大人になってるだろうな」

友人とQを観に行った帰り道、こんな会話をした。まさかこれが現実になるとは思っていなかったけど、当時は大人になってもエヴァのことを好きなのかな、私は果たして観に行くんだろうかといったことを考えていた。

それから、数年は貞本エヴァの新刊が出たら買って読む、pixivなどでSSを見つければ読むという感じだった。アスカのフィギュアも2体手に入れて、机の上に飾っていた。アスカのことが好きだった。何となく。今となっては死後に近いけれど、初めて二次元の女の子を好きになったのだと思う。

貞本エヴァの完結。雑誌は買わずに単行本の全巻収納boxつきのやつを買った。読んだときには、もうエヴァの終わりはこれでいいよと思った。貞本エヴァは旧劇の途中くらいから話が分岐していくという筋立てなのだけれど、綺麗に終わっていたし、何よりアスカが救われていたので私的にはほどほどに満足だった。

大学生になって、エヴァについて書かれた文書というものを初めて読んだ。某批評家のエヴァ論で、それがとてもおもしろく、その批評家の他の文章を読むうちに気がついたら私は日本文学を専門に学ぶようになっていた。

思想や文学について学ぶほど、度々エヴァンゲリオンのことを考えるようになった。作品のテーマ設定、作劇法、社会への影響。そういったことの方に関心が向いていたからだ。

エヴァ展にも行った。新劇の作画資料などを見て、懐かしい気持ちを覚えた。まだエヴァは終わっていないのに。色々な映画、アニメ、文学に触れすぎたせいかもしれない。私生活にも様々な変化があり、私はもう中学生の自分ではなくなっていた。

シンエヴァがようやく公開するということを去年に知った。どうせ延期するんだろうなという気持ちで待っていたけれど、先週映画館のチケット予約画面を開いたとき、どうやら本当に公開するらしいと知った。

 

そして今日、朝一の回でシン・エヴァンゲリオン劇場版を観に行った。朝早く起きて、映画館に行き、入場前に長い列に並んでパンフレットを買った。劇場には私より若い人が多くて、すこし不安な気持ちになった。

入場して座席に座ると、緊張感を覚えた。本当にシンエヴァは始まるのだろうか、そしてエヴァンゲリオンは終わるのだろうか、そのような気持ちだった。

色んな映画の予告編があり、とうとうシンエヴァが始まった。前回までのエヴァンゲリオンという総集編が始まって少し笑ってしまったけれど、これまでの時の流れを感じた。

それから本編が始まった。荒廃した世界。シンジの運ばれた村は、生き残った人たちの住む集落だった。そこには子供を持ち、結婚したトウジの姿があった。また大人になったケンスケの姿もあった。彼らがシンジを心配する様子は、大人そのもので、対応としては当たり前なのだけれど、それを観た私は戸惑ってしまった。

年月を経れば誰もが大人になる。けれども、シンジは大人になっていない。それを観る私は大人になっている。その関係性がとても不思議なものに思えた。

村の様子は戦後を連想させた。農村での労働、配給、古びた家屋。ニアサードインパクトの影響で技術力の落ちた社会はまさに戦後日本だった。

心を閉ざしたシンジ。いつもの自閉が始まって、私も置いてけぼりの気持ちを味わった。そっくりさんとの交わり。綾波の形をした初期ロットだけがシンジと昔のように関わっていた。ケンスケとトウジ、そしてアスカはシンジが自分で気持ちを整理するために一人にしておくという大人の対応だった。みんなが大人になっている。僕も大人になったはずなのだけれど。

シンジが自分を取り戻し、村に馴染み始めた頃、ケンスケからカジさんとミサトさんの息子を紹介される。シンジが眠っている間、私がエヴァを待っている間にも物語は進んでいた。人の関係性は変わり、TV版では知らなかったことが多く明かされた。

ヴンダーに戻ったシンジ。アスカはマリと会話する。マリにシンジとの関係性を聞かれたアスカは「ガキに必要なのは恋人じゃなくて、母親なのよ」と口にする。その言葉で、私はアスカがあのアスカなのではないのだということを認識させられた。

ネルフとの最終決戦。フォースインパクトを阻止するためにミサトさん、リツコさんたちは戦いへと向かう。破ではシンジに全てを背負わせてしまった。大人として私たちが責任を負うべきだった。そのような悔恨が語られる。エヴァに大人のとしての責任が描かれることにまたしても私は戸惑った。

「僕はここで水を撒くことしかできない」そういったカジさんは既に責任を負った大人としてこの世にはいない。

ネルフとの戦いが始まる。「第一種戦闘配置」そのセリフと共に、昔とは異なる面々が敵へと立ち向かっていく。エヴァンゲリオンが投入される。アスカとマリは、シンジの元を訪れ、アスカは最後の言葉「あんたの弁当美味しかった」を残し、マリは「再见」と言う。再び見るという言葉はさようならを意味するけれど、再会を暗示しているとも聞こえる。

エヴァンゲリオンの戦闘のあと、最後にシンジがエヴァ初号機に乗る。もう自閉しているシンジはいない。「ちったぁ、大人になったじゃない」と言われた通り、自分の行動に責任を持つ覚悟をその表情は示していた。

ゲンドウとの戦闘。記憶の再現として、現実と虚構が混ざり合うその場所で、シンジはゲンドウと会話することを選ぶ。記憶の場面が特撮だったり、セットだったりとして描かれるのは、それが物語の外側、エヴァンゲリオンという作品の歴史を示している。

「父親に息子ができることは、肩を叩くか殺すしかないのよ」

神=父親を殺すこと、母を喪失し成熟すること。そこには戦後から成熟へと向かったかつての人々の姿が重ね合わされる。父は肩を叩かれたわけだが。大人は父を殺さない。

画面にはセット共にTV版の映像が画面の中のスクリーンに映し出される。それによって、私はこれまで書いてきたエヴァンゲリオンという作品と私自身のことを思い出した。そして、今の私を。私は大人になっている。

人類補完計画の失敗。旧劇のラストシーンと同様のシークエンスから話は分岐する。そこでは、エヴァンゲリオンという作品全体を含めたメタ構造として、エヴァがループの物語であることが明かされる。

シンエヴァをここまで観なければ、私にとってのエヴァンゲリオンは終わらなかった。最後、声変わりしたシンジがマリと共に手を繋いで前へ進むところで映画は終わる。

最後の場面が電車だったこと、他の登場人物が反対のホームにいたことは貞本エヴァを連想させるけれども、村で描かれていた繋がらない線路、人を運ばない電車、そしてTV版で繰り返される電車の風景をイメージするべきかもしれない。

それはともあれ、声変わりをしたシンジが未来へと踏み出しエヴァンゲリオンは終劇となった。考えられること考えたいことはたくさんあるが、ひとまずエヴァンゲリオンがようやく終わったという実感の方が今は大きい。

この感慨は長い年月を待たなければ得ることのできないものだったし、それに見合う作品を世に送り出してくれた全ての方々に感謝を捧げたい。

大人になってよかった。さようなら、私のエヴァンゲリオン